「ザ・テラー」フランクリン隊の北西航路開拓こうすれば成功したかも

米ドラマ「ザ・テラー」は、19世紀半ば、イギリスから北極圏を回って中国へと進むルート「北西航路」を探しに航海に出た2隻の船が遭難し、隊員がひとりふたりと死亡していく、フランクリン隊の悲劇をもとにしたホラー作品です。

作中に登場する怪物トゥンボックは、もちろん創作ですが、フランクリン隊の航海ルートや船に積んでいた缶詰から鉛中毒が広がった件などは、その後の研究によってほぼ確実と目される実話です。

飢えと原因不明の身体症状で隊員は次々に倒れ、129名全員死亡となったフランクリン遠征ですが、北西航路は彼らのすぐ近くに存在していました。

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こうすれば成功していた北西航路開拓遠征

発見目前だった北西航路

北西航路とは、古くは15世紀ごろから欧州と中国との交易の利便性向上に期待された航行ルートでした。

大航海時代以降、多くの探検家が北西航路の発見に挑みましたが、北極圏の厳しさに勝てる船はなく、どの探検も失敗に終わります。

フランクリン遠征の時代には、北西航路は発見されても活用の見込みの薄いルートであると考えられるようになっていて、経済的な価値よりも英国の威信のための探検といった色合いが強かったようです。

とはいえ、北西航路は幻のルートではなく確かに存在したことは、後の探検で明らかになっています。

フランクリン隊は、すぐ近くまで到達していたのです。

キングウィリアム島の西側でなく東側を南下していれば

テラー_フランクリン_テラー号とエレバス号の軌跡

エレバス号テラー号の2隻はグリーンランドの西海岸沿いを北上すると、すでにジョン・ロスらによって発見されていたランカスター海峡を西へ向かい、太平洋へ出られるルートと信じられていたキング・ウィリアム島付近へと進みます。

そしてキング・ウィリアム島の西側の海峡を南下中に氷に取り囲まれて進退窮まり、ここで船を捨てることになるのですが…

キング・ウィリアム島西側は、多年氷が流れ着く位置にあり、入った船が出られなくなる危険性の高い場所でした。

キング・ウィリアム島東側を南下して島の南を西へ向かうのが正しい北西航路であると、現代ではそう知られています。

「ザ・テラー」では、フランシスがキングウィリアム島の東を回るルートを提案していましたが、フランクリンは取り合わず、西側ルートを強行し、氷に行く手を阻まれてしまいます。

東側を回るルートは、1951年、フランクリン隊の捜索に赴いたロバート・マクルアーらによって発見され、1903年~1906年、ノルウェーののアムンセン隊が船での通過に成功します。

テラー_キングウィリアム島東側の北西航路

もしもフランクリン隊が島の東側へ回っていたら…

もっとも、マクルアーの船はキングウィリアム島南の海峡を通れなかったそうで、最初の通過をノルウェーの船に譲ることになるのですが、イギリスの悲願北西航路の発見者がフランクリン隊であることには変わりなく、祖国の英雄として凱旋帰国していたでしょう。

フランシス・クロージャーは、ナイトの称号を得たかもしれません。

島ではなくカナダとつながっていると思われていたキングウィリアム島

なぜエレバスとテラーはキング・ウィリアム島の西へ入ってしまったのでしょう。

これには明確な理由がありました。

当時、キングウィリアム島は、独立した島ではなく、カナダ北部と陸続きの場所であると考えられていたのです。

これは、1829年から1833年にかけて北西航路を探しにやってきたジョン・ロスやジェイムズ・クラーク・ロスによる誤解でしたが、北極圏の地図の誤りを訂正できる者などいるはずがなく、フランクリン遠征の時にも、キングウィリアム島の南側には、一部北米大陸につながる陸地があり、船で通ることはできないものとされていました。

存在しないことになっている海峡を目指すわけがありません。

フランクリン隊は、多年氷の漂着する難所、キングウィリアム島西岸へ入っていかざるを得なかったのっです。

※地図上の航行ルートは、書籍「アグルーカの行方」をもとに私が引いた線です。
細かいとこ(小さい島のどちら側を通ったかなど)は違ってるかもしれません。

全滅はまぬがれたかも知れない道

船を捨ておくと決めた時の状況を伝えるフィッツジェームズのメモ

隊がエレバス号とテラー号を捨てたのは、キング・ウィリアム島の西側、ビクトリー岬の近くでした。

2隻は、1846年9月から氷の中で立ち往生を続け、1848年4月に放棄されます。

この時点で残っていた隊員は105名で、フランクリン卿は1847年6月に死亡。指揮を執っていたのはフランシスでした。

ドラマ「ザ・テラー」と同じように、フランシスはここから南のグレートフィッシュ川に向かって歩くことを決めます。

グレートフィッシュ川=バックのフィッシュ川です。現在はバック川と呼ばれています。

大部分が謎に包まれたフランクリン遭難で、この箇所だけ具体的に分かっているのは、ビクトリー岬近くのケルンからメモが発見されたからです。

メモの記載者は、ジェームズ・フィッツジェームズ

「細かく整然とした文字」であると、「アグルーカの行方」の著者角幡唯介氏が書いています。

南のグレートフィッシュ川を目指さず北のフリービーチへ向かえば

「バックのフィッシュ川を目指す」というフランシスの決断は、後の探検家が揃って首をかしげるものだそうです。

南の不毛地帯を流れる川を目指さず、北のフリービーチへ向かうべきだった」と。

テラー_キングウィリアム島_ビクトリー岬とバック川とフリービーチの地図

地図で見ると、船を棄てた場所からはグレートフィッシュ川河口のほうが近いのですが、救助を受けるためには、さらに何千キロも遡らなければなりません。

一方のフリービーチにはかつての遭難隊が残した食料があり、そこを拠点に生還した探検隊もいるという実績がありました。

1825年、エドワード・パリーが探検中にフリービーチで軍艦を難破させたときのものです。

この時バリーらが船から下ろした食料は、当時もまだそこにあり、1829年~1833年に探検に来たジョン・ロスらが同じように船を氷に取られた時には、フリービーチへと向かい、その食糧で食いつないで救助されています。

ジョン・ロスが船を捨てた場所からフリービーチは約300キロ、フランシスたちが2隻の船を捨てた場所からフリービーチは約400キロでした。

フリービーチには、缶詰などの保存食のほかに砂糖やココア、ワインまで置いてあったと言います。

フリービーチには食料が置いてあると知らなかったはずがなく、なぜフランシスが不案内な南の川を目指したのか…確かに不思議ではあります。

「アグルーカの行方」では、著者角幡氏が、この疑問に対する見解を述べています。

書籍の内容であり、ここには詳細を書けませんが、原因不明の体調不良に悩まされていたフランクリン隊にとって缶詰は忌むべき食品であり、川で獲れる獲物にこそ生き延びるための滋養があると、彼らはそう考えたのではないかという推測です。

参考:「北西航路」グレートフィッシュ川ークロージャーの決断

フランシスたちはグレートフィッシュ川へはたどり着けず、キングウイリアム島から海を渡ってすぐのところにある「餓死の入り江」と呼ばれる場所で全滅したとする説が有力です。

(「餓死の入り江」という呼び名は、ここでフランクリン隊の多数の遺体が発見されたことからつけられたものです)

テラー_キングウィリアム島_ビクトリー岬とバック川と餓死の入り江の地図

フリービーチへ向かっていたらどうなっていたでしょう。

後の調査によると、フランクリン隊員は鉛中毒にかかっていた可能性が高いとこのとです。

(原因は缶詰とも水の蒸留装置とも言われていています)

また、後に発見された遺体の状態から、壊血病に苦しむ隊員がいたことも確実視されています。

壊血病と鉛中毒を抱えた一団は、果たしてフリービーチまでたどり着けたでしょうか。

たどり着けた場合も、空腹からは解放されますが、ビタミンCは補えません。

うまくアザラシなどのビタミン源を捕獲できればいいですが、パリー隊やジョン・ロス隊も、ほとんど獲れなかったようです。

体力の著しい低下という条件下でのサバイバルは、相当に困難でしょう。

ただ、フリービーチに到着後、早い時期に他の船に発見されれば全員死亡という結果にはならなかったかもしれません。

紅茶でなく日本茶を積んでいたら壊血病は防げた

壊血病はビタミンC欠乏による病気です。

2隻の船には大量の紅茶が積まれていました。

紅茶は日本茶と同じ木から作られますが、日本茶よりも酸化した状態のものなのでビタミンCの摂取には期待できません。

当時のイギリス人が日本茶を知っていたらね…

1845年って日本はどんなんだっけと考えると…ごめん鎖国してたわ。

もしも魔法が使えたら、フランシスのいるキングウィリアム島に飛んで行ってあったかい煎茶をみんなに飲ませてあげたいです。

ヒッキーにも出涸らしならくれてやろう。

フランクリン隊は本当に全滅したのか

隊の残した記録が極端に少なく、詳細の不明なフランクリン隊の遭難です。

誰がどこでどうして死んだのか、すべてを知るのは神しかいません。

フランシスがイヌイットの集落に溶け込んで生き延びたというのは、「ザ・テラー」の創作です。

でも

イヌイットの人々が「アグルカ」と呼んでいた白人は実在します。

アグルカに関する言い伝えには何通りかあり、

アグルカは、ひどく衰弱した様子で他の白人2人を伴っていた。

我々は彼らにアザラシの肉を与え、ともに暮らした。

回復したアグルカたちは一年後、「故郷へ帰る」と言って南へと旅立った。

など。

そしてイヌイットの一人がアグルカからもらい受けたと言うスプーンには「F・R・M・C」と刻まれているそうです。

フランシスの正式な名は、フランシス・ロードン・モイラ・クロージャーです。

アグルーカの行方

「アグルーカの行方」は角幡唯介氏が荻田泰永氏とふたりでフランクリン隊と同じルートを辿るドキュメンタリーです。

本の中には、アグルーカはフランシスだと確信できるような証言もあれば、やっぱり全然別の人だと思わざるを得ない証言も出てきます。

「ザ・テラー」実在の登場人物についてのまとめはこちらに

「ザ・テラー」に含まれる実話要素のまとめはこちらに