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「ザ・テラー」に含まれる15の実話要素をピックアップ

2018年8月21日

ドラマ「ザ・テラー」は、1845年にイギリスを出発したフランクリン隊の2隻の軍艦、エレバス号テラー号の遭難をもとにしたホラーです。

この2隻が遭難し、帰還した隊員も生存を確認された隊員もいないのは実話です。

でも、フランクリン隊が現地に残した記録(ケルンに残すメモ)は1枚しかなく、何が起きたのか、ほとんどの点で不明です。

「ザ・テラー」で描かれる出来事は、大部分が創作ということになりますが、史実をそのまま使ったエピソードも見られます。

と言うよりもむしろ、わずかな資料や証言から判明している事実のほぼすべてが織り込まれているようにも感じられます。

ドラマ「ザ・テラー」に含まれるフランクリン隊の実話をピックアップしてみました。

Contents

ザテラーの中の実話:フランシスとフィッツジェームズは良好な関係ではなかったっぽい

ザテラー-フランシス・クロージャー
PublicDomain

物語の序盤、フランシス・クロージャジェームズ・フィッツジェームズは険悪でした。

実在のフィッツジェームズの胸のうちは不明ですが、フランシスは嫌っていたようです。

フランクリン隊は1945年5月に出港した後7月にグリーンランド西部にあるデンマークの捕鯨基地に立ち寄り、そこから家族や友人に手紙を出しました。

フランシスが友人のジェームズ・ロスに宛てた手紙が公開されています。

※フランシスとジェームズは、1821年のエドワード・パリー率いる北極探検以来の友人です。

※ドラマの中では、劇場で観劇する場面でフランシスに「君の役を演じる男は結石が多そうな顔だ」と言っていた人です。

※冒頭とおしまいに出てくるイギリスからの捜索隊でイヌイットから話を聞いていたのもジェームズでした。

フランシスはジェームズに

エレバス行くのマジだりぃよ

フランクリン卿は親切なんよ

そりゃもうね、行けば毎回ディナーのおもてなしでさ

でも、もれなくフィッツジェームズがついてくるからさー

と、書き送っています。

意訳しすぎ感があるので原文置いておきますね。

I cannot bear going on board Erebus – Sir John is very kind and would have me there dining every day if I would go – he has Fitzjames and 2 officers every day.

どこに所蔵されている手紙か分かりませんが、このブログの方が書き起こしたものを読んでいます。

手紙のページ:Francis Cozier Letter to James Ross (1845)

手紙でフィッツジェームズの名前が出てくるのはこれだけです。

フィッツジェームズが一緒だとどうなのかは書いてありません。

ジェイムズ・ロスとフランシスの間では「あいつがいるからさ」で通じるくらいの感じだったのかなーと、私にはそう見えますが、どうでしょう?

ドラマでは第1話「航路を求めて」で、フランシスがブランキーに、「フィッツジェームズの毎度の自慢話を聞きながらの食事は気が進まない」とこぼしていました。

ジェームズ・ロス宛の手紙にある雰囲気をドラマではブランキーに話すことで再現したのかなと思います。

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ザ・テラーの中の実話:グッドサーは勤勉で探検隊の太陽だった

上と同じ手紙の中でフランシスは、ドクター・グッドサーのことも話題にしています。

エレバスのグッドサーはすごい働き者で(中略)

幸せオーラでいつも船員を元気づけているよ

全体に「あー来るんじゃなかった。寂しすぎ。君がいたらなぁ」というトーンの手紙の中で、グッドサーの話のパートにだけはポジティブな雰囲気があります。

ザ・テラーの中の実話:フランシスはソフィアに2度プロポーズして2度断られていた

第2話「流血」

イギリスにいた頃の回想シーンで、フランシスがフランクリン卿の姪のソフィア・クラクロフトに2度プロポーズして2回とも断られていることが分かります。

これも実話です。

フランシスは、1840年のジェイムズ・ロスの南極探検に副隊長として参加していました。

2隻の船は、南極に向かう途中ヴァン・ディーメンズ・ランド(現在のオーストラリア、タスマニア地方)に立ち寄り、ここでソフィアに出会います。

ザテラー ソフィア・クラクロフト
PublicDomain

ソフィア・クラクロフトは、美しく利発な女性だったようです。

フランシスはすぐに恋に落ちますが、プロポーズの返事はNO。

イギリスへ帰国してから再会したソフィアに再び求婚するフランシスでしたが、今度もソフィアはそれを断りました。

フランシスは、その生涯で一度きりだったとされる恋に二度破れていました。

参考:Crozier Francis|Climate Policy Watcher

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ザテラーの中の実話:ビーチェイ島で3人死亡

第1話「航路を求めて」

病弱なデビッド・ヤングが血を吐いた時に、医師が「ビーチェイ島で君の仲間を3人埋めただろう」と言っています。

物語のスタートよりも前に3人の隊員が死亡していると話しているわけですが、これも実話です。

ビーチェイ島は、その前の冬にフランクリン隊が越冬した島です。

ザテラー1話航路を求めて航海範囲

この越冬中に3人の隊員が死亡しました。

ビーチェイ島で3つの墓標が発見されています。

墓碑から、死亡したのは20代30代の水兵3名だと分かりましたが、なぜ最初の冬に3人もの死者が出たのか。これもフランクリン遠征の謎の一つに数えられています。

ザ・テラーの中の実話:キング・ウィリアム島ケルンに残された唯一のメモ

「ザ・テラー」では、キング・ウィリアム島ビクトリー岬近くのケルンに内蔵されたメモが2度登場します。

このメモは実在するもので、記載されている内容や署名した人物など、克明に事実をなぞっています。

フランクリン隊長の文書

第2話「流血」

フランクリン隊最後の公式記録となるメモが発見されたのは、1859年、レオポルト・マリントック隊がフランクリン隊を捜索した時でした。

この貴重な資料は、Victory Point note(ビクトリー岬のメモ)としてロンドンの王立博物館に所蔵されています。

ザテラー フランクリン隊がケルンに残したメモ

Royal museum greenwich:John Franklin’s final North-West Passage expedition 1845

タイプ文章は、

「このメモを発見したら、英国海軍本部か英国領事館に届けて欲しい」という旨のことを英語、フランス語、スペイン語、オランダ語、デンマーク語、ドイツ語で書いたものです。

出発前にイギリスで準備した用紙の余白にメモを書いて残すことになっていたのでしょう。

上部の手書き箇所はフランクリンが部下に口述筆記させたものとされています。

書かれているのは

1847年5月28日

エレバス号とテラー号は、北緯70.5度西経98.23度で越冬。(中略)

1846年から47年の冬は、ビーチェイ島北緯74.43.28度西経91.39.15度で越冬した。

ョン・フランクリン卿が隊を指揮している。

全員健康。

二人の士官と6人の船員が1847年5月24日月曜日に船を出発した。

実はこの記述には間違いがあります。

船がビーチェイ島で冬を越したのは1845年から46年の冬です。メモでは「46年から47年」となっていてます。

フランクリン隊長がうっかり間違えたのです。

ドラマ「ザ・テラー」に登場するこのメモは、書面のデザインや文章やサインの記載位置まで本物そっくりに作られていて、よく見るとこの間違いまで再現されています。

ジェームズ・フィッツジェームズの追記メモ

第8話「反乱」

エレバスとテラーを棄てると決めたフランクリン隊の生存者たちは、キング・ウィリアム島に上陸、歩いて南下することになります。

この時、フィッツジェームズが上記のメモに現状を追記する場面がありましたが、これも実話通りです。

用紙の外周をぐるっと囲む形で書かれたメモがフィッツジェームズの追加メモです。

1848年4月25日

46年9月12日以降氷に囲まれたままのテラーとエレバスを(中略)放棄。

クロージャー隊長の指揮により士官及び乗員計105名で(中略)ここへ上陸した。

(中略)

ジョン・フランクリン卿は、1847年6月11日に死亡。

これまでの死者は、士官9名乗員15名。

明日26日、フィッシュ川へ向かう

フランクリンの死亡日6月11日というのもフィッツジェームズのメモから分かった日付です。

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ザ・テラーの中の実話:フランシス・クロージャーは「アグルカ」

第2話「流血」

フランシスがイヌイットの娘レディ・サイレンスに語りかける場面で「イグルーリクで私はアグルカと呼ばれた」と言っています。

イグルーリクは、キングウィリアム島の東、北米大陸の北東の端にあるイヌイットの町です。

フランシスは、1820年代の北西航路探索にも参加していて、その時越冬した場所がイルグーリクでした。

フランシスがイヌイットの言葉を話せるのは、この時のイヌイットとの交流によるものです。

ザテラーキングウィリアム島とイグルーリク地図

越冬時フランシスは、イヌイットたちから「アグルカ」と呼ばれていました。

ドラマの中では「アグルカ」とは「頭」という意味とされ、リーダーを指す呼称のようなニュアンスで使われていますが、実際の意味は「大股で歩く男」。

大柄で強靭な雰囲気の人物に与えられる呼び名です。

フランシスは自分がアグルカと呼ばれていることを認識していて、「自分がアグルカであることを皆に伝えてほしい」とイヌイットたちに話していたそうです。

また、フランクリン隊の遭難当時、キングウィリアム島南部のワシントン湾で、疲弊した様子でボートを引きずる白人たちがイヌイットたちに目撃されていますが、リーダーらしい男がイヌイットに話しかけてきたとき、「私はアグルカだ」と名乗ったと伝えられていて、これがフランシスだったと見られています。

フランシスが1845年の北西航路開拓遠征よりも以前からアグルカと呼ばれていたのは事実で、フランシス自身もアグルカが自分の呼称だと知っていました。

参考:「アグルーカの行方」角幡唯介著

ザ・テラーの中の実話:疑惑の缶詰

第3話「はしご」

「ザ・テラー」では、序盤でアーヴィング海尉からの「缶詰が腐っていた」という報告があり、その後ずっと缶詰が隊員の謎の病状の原因ではないかと疑われています。

これもほぼ実話です。

隊員が缶詰を開封したけれども食べなかった、あるいは缶詰を避けていたと推定できる根拠がいくつか残されています。

まず隊員が3人死んだビーチェイ島には、大量の空き缶が捨てられていました。

その空き缶の数が、フランクリン隊が島で過ごした期間に比べて多すぎるため、開けたけれども食べられなかった缶詰があったのではないかと考えられます。

開缶しただけで異変が分かるとすればやはり腐敗?

フランクリン隊は、缶詰を船に置いたまま陸路でキング・ウィリアム島に旅立ったという報告もあります。

あの状況で食べられる食料を置いていくとは考えられず、缶詰は食べられないか食べてはいけないというコンセンサスがあったのだと思います。

後の調査で、ビーチェイ島の3遺体から多量の鉛が検出され、缶の蓋の接合に使われる鉛が溶けだしていた可能性が疑われるようになりました。

フランクリン隊の遺体になぜ鉛の蓄積が見られるのか、確かなことは分かっていません。

缶詰よりも船に備え付けられた水の蒸留装置が災いしたという説も有力視されています。

でも、隊員が缶詰に不信感を持っていたことは間違いなさそうです。

参考「アグルーカの行方」角幡唯介著

フランクリン遠征|Wikipedia

鉛中毒|メルクマニュアル家庭版

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ザ・テラーの中の実話:フランクリン卿が死んだときたくさんの銃声が鳴った

第3話「はしご」

ジョン・フランクリン隊長の死因は、心臓発作とされているそうですが、厳密には不明です。

参考:19世紀に北極海に沈んだ探検船の内部が明らかに

トゥンバックに襲われて死んだというのは、もちろん「ザテラー」の創作ですが、葬儀で弔銃の儀式が行われたのは事実のようです。

アザラシ狩りに出かけていたイヌイットたちが、「白人のシャーマンが埋葬された時たくさんの銃が撃たれた」と話していたそうです。

イヌイットは、自分たちの社会になぞらえて、探検隊を率いていたフランクリン卿をシャーマンと思っていたのでしょう。

余談ですが、イヌイットの証言では、フランクリンの遺体は岩にあけた穴に埋葬され、時間がたつと石になる「何か」で覆われたことになっています。

その通りとすれば、ジョン・フランクリン卿の墓がキングウィリアム島のどこかにあることになり、そのお墓はセメントで塞がれているのでしょう。

フランクリンの墓はいまだ伝説のまま、発見はされていません。

ザ・テラーの中の実話:レディ・ジェーンの精力的な活動

ザテラー-ジェーン・フランクリン
PublicDomain

第4話「屈辱の夜」

フランクリン隊長の妻ジェーンが、ソフィアとともに政府や探検家に夫の隊の捜索を呼び掛けているシーンがありますが、これも事実です。

ジェーンは、とてもタフな女性で大変な資産を持っていました。

彼女は、様々な探検家に捜索を依頼し、情報に懸賞金をかけるなどしてフランクリン卿と隊員の消息を探りました。

ジェーンの出資した探検は全部で6回。

しかし、調査の結果イギリスに届いたのは、隊は全滅したと言う悲報でした。

参考:Jane Franklin|Wikipedia

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ザ・テラーの中の実話:フィッシュ川に陸路で向かう際の荷物が多すぎ

第7話「氷上の宴」

生き残っている隊員が、エレバスとテラーを捨てて陸路でキングウィリアム島を南下する用意をしている時、フィッツジェームズがフランシスに「不要な荷物をボートに積み過ぎている」と言い、フランシスは「途中で捨てよう」と答えています。

残念なことにこれも実話です。

当時のイギリスの探検隊には、英国製の豪華な食器や調度品をそのまま船に持ち込んで探検に向かう習慣があり、自分たちで荷物を引いて進まなければならなくなった際にも、サバイバルに不要なものを捨てるという選択ができなかったようです。

エレバス湾で発見されたボートには、本(聖書以外の本も)、大量の衣類、銀の食器などが残されていました。

参考「アグルーカの行方」角幡唯介著

ザ・テラーの中の実話:フィッツジェームズの出自

第8話「反乱」

キング・ウィリアム島のケルンに記録を残すため、フランシスとフィッツジェームズがふたりで歩く場面で、フィッツジェームズが突然自身の出自を告白します。

自分は、父が愛人との間に作った子だと。

フィッツジェームズが非嫡出子だったのは事実です。

Wikipediaの「James Fitzjames」によると、最近になって実の父がジェームズ・ガンビア卿であると判明したものの、母親はおそらくポルトガル人だとしか分かっていないとのこと。

「ザ・テラー」では同じ時に、シンガポールでバロウの息子ジョージ・バロウを助けた話もしています。

こちらも史実通りのようですが、はっきりしません。

Wikipediaでも” It is not clear what happened, ”とあり、

何があったのかは良く分かっていないものの、シンガポールでジョージ・バロウがひどく評判を落としていた時、フィッツジェームズがお金を使って名誉を回復させる何かをした

と書かれています。

島でフィッツジェームズがフランシスに話したことは、すべて事実だったことになります。

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ザ・テラーの中の実話:靴と人肉

第10話「命果つる地」

ドラマ「ザ・テラー」最終話でフランシスがレディ・サイレンスとともに隊員を探しに行くと、テントの外にブーツに入った肉らしきものが見えます。

フランクリン隊の遭難がカニバリズムの悲劇に結び付いたと考えられる状況証拠のひとつが、この靴に入った肉です。

エレバス湾で発見されたボートの近くには靴に入った人肉が入っていたと、J・E・ノースの「ホールの第二次北極探検記」に書かれているそうです。

参考「アグルーカの行方」角幡唯介著

エレバス湾というのは、エレバス号にちなんでつけられた名前で、2隻の船が立ち往生した場所からそう遠くありません。

ザテラー エレバス湾とテラー湾キングウィリアム島地図

「ザ・テラー」で最後にフランシスが隊員を探しに行った場所は、エレバス湾ではなく餓死の入り江と思われるので、場所は違いますが、靴の中に肉という組み合わせは、この発見を再現したものでしょう。

※「餓死の入り江」は、ここで多くの隊員の遺体が発見されたことからつけられた呼び名です。

ザ・テラーの中の実話:顔にペンダントを縫い付けた遺体

第10話「命果つる地」

フランシスがリトル副長を発見した時、すでに虫の息だったリトルはなぜか顔に金のペンダントらしきものを突き刺し、縫い付けたような状態でいました。

理由が分からなかったのですが、テラーのツイッターアカウントにこの話題がありました。

あの行為の理由は誰にも分からないのですが、ああいう状態の遺体があったのは事実です。

クロージャーのおぞましい発見はイヌイットの証言の再現。

宝石を並べて埋め込んだような遺体があったと言う…

不可解なアートで説明はつかない

なぜそんなことをしたのかは謎ですし、リトル副長だったとは書かれていませんが、似たような状態の遺体があったのは実話です。

ザ・テラーの中の実話:エレバスとテラーの航海日誌

第10話「命果つる地」

フランクリン隊の残した記録文書はケルンに入れたメモ1枚だけ、ほかには何もありません。

ドラマでは、フランクリン、フランシスのふたりの艦長が航海日誌をつけている場面があり、この日誌はどこへ消えたの?と疑問だったのですが、陸路で南下する生き残り隊は、日誌も運んでいたようです。

彼らの最期の地、餓死の入り江でイヌイットがキャンプ跡と無数の遺体を発見した時、辺りにはノートもたくさん転がっていたのですが、イヌイットには使い道のないもので、放っておくうちに子供たちが破って遊んだり風に飛んだりして、なくなってしまったそうです。

ザ・テラー最終話「命果つる地」でフランシスが隊員を探すシーンで、日誌のように見える冊子が辺りに散らばっていたのは、この話を引っ張ってきたものかと思います。

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ザ・テラーの中の実話:イヌイットの伝承する巨大北極熊がトゥンバック?

隊員を襲う謎の怪物トゥンバックは、もちろん創作ですが、シロクマよりももっと大きい 'weasel bear' (イタチ熊)がイヌイットの伝説に生きています。

king bearと呼ばれることもあります。

陸上の肉食獣の中で一番大きいはずのシロクマよりももっと大きい熊?

おそらくビッグフットだとかイエティのノリの伝承なのだと思いますが、2014年、クマと似ているけれども一般的なクマよりデカい骨がアラスカで発見されました。

骨は、1300年前のものと鑑定されています。

Giant, elongated polar bear skull found on Alaska beach could be fabled 'king bear’ described in Inuit accounts

巨大なシロクマは実在するのかもしれません。

作者の書いたトゥンバックの正体についてはコチラに

「ザ・テラー」と実話の違う点:犬のネプチューンもエレバスに乗船していた

「ザ・テラー」では、エレバス号にサルのジャコーが、テラー号に犬のネプチューンが乗っていますが、これは事実と違います。

ジャコーとネプチューンは、どちらもフランクリンの妻レディ・ジェーンからの贈り物で、エレバス号で生活していました。

ドラマでは、ヒッキーが犬の階級にこだわったり、犬を殺して食べたりするエピソードが入るので、ヒッキーのいるテラーに犬のネプチューンを乗せたのでしょう。

参考:The animals of the Franklin Expedition|Canadian Geographic

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ザ・テラーの実話と違うであろう点:コーネリアス・ヒッキーのキャラ

コーネリアス・ヒッキーという隊員は実在しますが、アイルランド出身で24歳だったとしか分かっていません。

「ザ・テラー」のヒッキーの人柄は、フィクションです。どんな性格だったかは分かりません。

本物のコーネリアス・ヒッキーではなく、彼を殺した別人のなりすましだという設定だったとは言え、なんだか気の毒です。
(原作のヒッキーは替え玉ではありません)

キングウィリアム島付近で発見されたという「コーネリアス・ヒッキー」の名前を刻んだナイフが英国立海洋博物館に収蔵されています。
画像など詳細はこちらに
8 コーネリアス・ヒッキー

「ザ・テラー」実話と違うであろう点:仮装パーティと火災

第6話「氷上の宴」

フィッツジェームズの発案で仮装パーティが開かれ、そこで火災が起きるエピソードがありますが、フランリン隊の捜索で火事の形跡が発見されたという情報は見当たりません。

死者が複数出るほどの火事が起きていれば、その痕跡が見つかるはずと思います。イヌイットが目撃することもあるでしょう。

そういった話がまったく出ていないので、あの火災は「ザ・テラー」の創作部分だろうと思います。

「ザ・テラー」出版後に判明した事実:グッドサーの遺体はきちんと埋葬されていて食べられた可能性は低い

グッドサーのものと見られる骨が発見されています。

参考:Skeleton May Help Solve Mystery of Doomed Franklin Expedition

発見場所が明確ではないのですが、記事には「船が立ち往生した場所から200キロ以上離れた場所」という記載があります。

船を棄てた場所から200キロ離れるとなると、キングウィリアム島の南東部、隊員全滅の地とされている餓死の入り江近くの場所しかありえません。

ザテラー エレバス湾とテラー湾キングウィリアム島地図

おそらく、餓死の入り江か、入り江に渡る手前辺りで発見されたのでしょう。

発見されたのは1869年で、イギリスでその骨を分析しますが、当初はヘンリー・ベスコンテ大尉のものと推測されていました。

ところが進歩した21世紀の技術では、その骨はベスコンテではないことが判明。

まず、歯の詰め物に金が使われていたことがベスコンテと一致しませんでした。さらに歯のエナメル質に含まれる物質から出身地域を特定すると、スコットランド生まれのグッドサーが浮かび上がります。

その後、頭蓋骨から復元された顔の特徴もグッドサーと共通していることから、頭蓋骨の主はグッドサーである可能性が高いと判断されました。
(「可能性が高い」=「断定はできていない」です)

骨は埋葬された状態で発見されたので、少なくとも野ざらしで捨てられてはいません。

骨に歯型がついていたという報告もされましたが、それは北極狐の歯形で人間のものではないそうです。

埋葬されていることから、「グッドサーは、飢餓の最終段階よりも前に死亡したものと推定され、彼の遺体には手を付けられていないと考えられる」と、調査を担当したサイモン・メイズが話しているとのことです。

判明している事実を忠実に採用している「ザ・テラー」の中で、グッドサーの最期だけは実話と大きく異なっています。

原作のグッドサーの死に方は、ドラマとは少し違いますが、やはり埋葬はされません。

原作「The Terror」がアメリカで出版されたのは2007年。

この研究成果が発表される2011年よりも前だったのです。

もしも順番が違っていたら、グッドサーはもっと別な描かれ方だったかもしれません。

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「ザ・テラー」出版後に判明した事実:フランクリン隊に女性隊員がいた?

2017年、それまでにキング・ウィリアム島で発見された骨や歯のDNAが鑑定されます。

鑑定結果には驚くべき報告が含まれていました。

少なくとも24人のDNAが発見され、うち4名は女性であった可能性があるというのです。

すべてのDNAは欧州人のもので、イヌイット女性ではないとも。

元記事 Frozen in Time: DNA May ID Sailors Looking for Northwest Passage in 1845|Live Science

!?

…よく読むと、DNAは量が少なかったり質が悪かったりするとY染色体を検出できず、女性と鑑定されてしまうことがあるそうで…

DNA鑑定のエラーか。

もしもこのニュースが原作の執筆前に公表されていたら、「ザ・テラー」は全然違う物語になっていたかも…?

ザテラーの実在人物についてはこちらに

北西航路についてはこちらに

関連書籍についてはこちらに