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「MAGI-天正遣欧少年使節」4人のその後

2019年2月16日

Amazonオリジナルドラマ「MAGIマギ天正遣欧少年使節てんしょうけんおうしょうねんしせつ」は実話をもとにした創作です。

日本へ帰った少年たちがその後どうなったのか、いつどこで亡くなったのか、ある程度は分かっています。

帰国後秀吉と謁見し、西洋音楽を披露するなど欧州の報告をしたところ、秀吉は4人を気に入り、仕官になるよう勧めたと言います。

帰国直後はまだ、追われたり逃げ隠れしたりするような状況ではなかったようです。

でもその後状況が好転することはなく、キリシタンの苦難は深まる一方でした。

伊東マンショ

マカオに留学して進学を学び、司祭になります。

その後小倉で布教活動をするマンショでしたが、1611年、領主によって追放され、1612年、長崎で病死します。

近年、イタリアの個人が所有する肖像画のモデルが伊東マンショと分かり、2016年には、日本で公開されました。

MAGI天正遺欧少年使節
伊東マンショ-PublicDomain

原マルティノ

ドラマの雰囲気からは違った印象を受けますが、4人の中の最年少者がマルティノでした。

マルティノもマカオに留学します。

語学力の高かったマルティノは、布教をしながら洋書の翻訳も手掛けます。

1614年、キリシタン追放令を受けてヴァリニャーノのいるマカオへ移り、1629年、マカオで死亡します。

遺体はヴァリニャーノと一緒に埋葬されたそうです。

ここ「マカオ大聖堂」↓の地下に。

原マルティノ-MAGI天正遺欧少年使節

千々石ちぢわミゲル

1601年、棄教してイエズス会からも除名されます。

2017年、ミゲルの墓が発掘されると、ロザリオをかけていた形跡があることが分かり、信仰を捨てていない「隠れキリシタン」だったのではないかとの説が浮上しました。

その後の調査でこの遺体は女性のものである可能性が高いと判明します。

ミゲルの妻ではないかと目されています。

天草四郎はミゲルの息子?

「MAGI」についている「天正遺欧少年使節-もうひとつの物語」の第10話分で、1638年、マカオの司祭がイエズス会総長に宛てた手紙に「天草四郎はミゲルの子と言われている」と書かれているとあります。

そういう説があることはあるみたいです。

天草四郎は秀吉のご落胤という話まであるくらいなので、なんとも…。

天草四郎は複数人いたのだとする説もあり、各人に誰かの隠し子疑惑があれば、そりゃいろんな人の子になれますね(笑)

手紙にそういう文があるのは事実でしょうけれど、四郎がミゲルの子だというのは、あくまで「そう言っている人もいる」という話です。

中浦ジュリアン

マンショ、マルティノと同じくマカオに留学した後、博多で活動してたジュリアンでしたが、弾圧により、九州各地を転々としながら地下活動を続けます。

1632年に捕まると翌年に穴吊りの拷問を受けます。

穴吊りとは、逆さにして吊るす処刑法ですが、この時、耳の後ろを少し切り、そこから少しずつ血が抜けるようにしてあるため簡単には絶命せず、苦痛は何日も続くことになります。

棄教する意思を示せば許されるこの拷問にジュリアンは4日間耐え、吊るされたまま殉死します。

同じ時に穴吊りにされた人物にクリストヴァン・フェレイラがいます。

フェレイラは「沈黙」にも登場する転びバテレンです。

この時穴吊りにされたのは、ジュリアン、フェレイラを含めて8名。フェレイラ以外の全員が殉教したそうです。

2007年、中浦ジュリアンは教皇ベネディクト16世によって福者の称号を与えられました。

参考:きょう日本初の列福式、殉教者188人が福者に|CHRISTIAN TODAY

福者とは、徳と聖性を認められたカトリック信者に与えられる称号で、高山右近なども福者に列されています。